2010年1月29日 (金)

項羽と劉邦(上、中)。

司馬遼太郎にハマっているということは、以前の日記にも書きましたが。

今日、中巻を読み終えました。
上中下の3巻構成です。
下巻で終わっちゃうと思うと、ちょっともったいないなあと思ってしまいます。
三国志も面白いけれど、こちらもまた面白い。
中国の歴史がこんなにも面白いものなのかと改めて思いました。それと共に、司馬さんの人物の描き方がとても新鮮で分かりやすい。まるで、常に空か ら下界を見下ろしているような感覚です。ただドラマを時系列で追うのではなく、途中で武将の出生を描いたり劉邦との初対面を描いたりする、その描き方も説 明書きではなくてドラマとして描いているんです。登場する人物がそれぞれとても個性的だからこそ、そういう描き方もあるのでしょうね(ただ、三国志でそれ をやったら膨大な量になってしまうのだろうな)。

個人的には、項羽の参謀、范噌が好きです。
項羽のどうしようもない部分を、あえて受け入れてかれに尽くすその姿勢。
これ、短所より長所を大事にすべきという典型的な例に思えます。
去り際となる項羽との別れのシーンはとても印象的。
そして、その後のかれの生涯のラストも。
このペア、もしかして、三国志でも似てるペアがあるかも。例えば、陳宮と呂布なんかもそうかもしれませんね。

劉邦は、以前持っていたイメージと全然違うので、ビックリしています。
礼儀作法も知識もなく、かといって戦時の才もあまりない。女好きで、食欲旺盛、普段からだらしないイメージばっかり。
でも、とても素直なんですね。
人に、弱点を言われると、たいがいの人はムッとしたり、それを隠そうと会話を濁したりする。でも、劉邦は、なんでも受け入れる。人の意見に対してとても闊達なんです。
『こういう人間に、人はついていくのだな』ということなのかしら。
でも、こういう人間は、なろうと思ってなれるものではないのだろうな。
素直に生きたいとはつねづね思ってはいるのですけれど…。
『侠』って考え方もとても興味深い。
ヤクザさんの『任侠』のもとなのかしら。

鴻門の会は、漢文の時間に勉強しました。
国士無双、背水の陣、四面楚歌…。
良薬口に苦しとか、馬鹿、とか…この時代の故事、格言ってけっこうありますねえ。

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2009年4月11日 (土)

最近の読書。

ここのところ、読書がオモシロイ。
基本的には本は嫌いではない。わたしの視力が悪い理由は、幼児の頃からの絵本好きが原因なんです。話はずれますが、わたしが一番好きだった絵本は、『きんいろきつねのきんたちゃん』。『シナの五人きょうだい』とかも好きでした。電気スタンドもない薄暗い部屋で、裸電球の下、必死にくらいついて読んでいた記憶があります。
最近の読書は、なんだか、ちょっと今までの感覚とは違います。今までは、単純に『面白そうだ』と思って、ただ『楽しむ』、というところが多かったのですが、最近は、どうも、いつのまにか、読んだものに対して『身になる』という受け方をするのです。

で、最近は歴史ものにひっぱられてます。
もちろんこれまでも三国志、塩野七生のイタリア歴史ものなどは好きで読んでいました。今夢中なのは、日本史。以前は全然観てなかったNHK大河ドラマを観るようになったのもその影響かしら。
吉川英治の『新・平家物語』。ただいま4巻を読んでいます。全16巻だったかな。読めるかな…って思っていたんですが、下呂に来て2ヶ月くらいで4巻目。案外いいペース。寝る前に本を開いてしまうと、ついつい読んでしまう。この時代の登場人物、正直なところ、源頼朝と平清盛、あとは怖い崇徳天皇くらいしか知らなかったけれど、魅力的な登場人物が次から次へと現れて、飽きないんですな。それに、法然や文覚、西行法師という有名人が時折現れたり、かと思うと麻鳥と蓬子のようないわゆる平民のサイドストーリーなんかもある。日本史からっきしダメなわたしでしたが、こうやって読んでいたら歴史に強くなりそうな気がしてきます。

そういえばそろそろ義経が出てくるころです。
義経といえば、今、同時進行で読んでいるのが司馬遼太郎の『義経』上下巻の上巻。やはり作家が違うと登場人物のキャラクターも微妙に違う。吉川英治の清盛像と、司馬遼太郎のそれとはまたちょっと違います。そういうところを比較しながら読むのもまた楽しいですね。
義経といえば…『滝沢演舞場』ですねえ。昨年観た、滝沢さんの見事な雨中の殺陣、あれはすばらしかったですなあ。

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2008年8月17日 (日)

休日その5。ハリーポッター最終巻。

1日半で読み終えてしまいました。
なんだかとってももったいない気分ではあるけれど、とうとう完結してしまいましたね。
嬉しくもあり、悲しくもあり。いつかは終わりがあるものだけれど…。
『指輪物語』最終巻でも、こんな感覚がありましたねえ。『ゲド』の第5巻もそうかしら。

多彩な登場人物を、ほぼ見事に描ききったというところが凄い。
膨らみすぎた人物相関図を、きっちりまとめあげている。ファンタジーは、『これもできるあれもできる』的な逃げ道があって、結果、末広がりな、見えにくい状況になりがちですけれど、そんなことはまったくありませんでした。
それから、ほぼ全編にわたってはられた伏線がひもとかれる瞬間があるんですね…これでもか、これでもかとシリーズ全般でやきもきさせた部分がついに最終巻で解き放たれるときが。同時に、逆に、これで全巻の物語がさらに強固な絆という名の紐でむすばれるわけです。
そして、また、最初から読みたい衝動に駆られてしまいました。

映画と同時進行に新刊が出版されるというこの方式も、斬新ですよね。
活字の上での新鮮な、できたての物語が、すぐに映像化されるという興奮もある。こういう感覚は、これまでのメディアにはあんまりないですよね。
それから、登場人物たちのリアルタイムな成長も楽しめる。
配役、いつか代わってしまうのかな…物語と現実とはまた違いますものね…。
そして、お互いが、切磋琢磨して作品を良くしているようなところも見えるような気がします。ローリングさんは、映画版をよくご覧になられるのかし ら。逆に見たらある意味のオリジナリティが失われる、そんなこわさがあったりして。それはよく存じ上げませんが、わたしの感想としては、この方法はとても おもしろいと思いました。
ラストまで、スクリーンに通い続けますよ。

エピローグは、まさに、ローリングさんの、登場人物に対する愛情の結晶といってもいい展開になっていると思います。なんだか、体のどこかがくす ぐったくなるような、まさに絵に描いたかのような展開ですが、おもわずにっこりしてしまうのは、やはり、わたしもこの物語にどっぷり浸かった1人だからか な、と思いました。欲を言えば、もう少し、ハリーの、もっと直接的な恋物語を描いてほしかったかな、と思うけど。でも、ロンとハーマイオニーに対照的にし てあると考えれば、いいのかしらね。

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2008年5月22日 (木)

関ヶ原下巻。

司馬遼太郎さんの著作。
モスにて、昼食がてら、映画開始前の時間つぶしに読んでいたら、ラストまで読んでしまいました。
『読み終わってしまったのがもったいない』
こんな感想です。
そうそう、モスの新しいバーガー、『フィッシュマリネバーガー』は、めったにファストフード行かないわたしが食べてもおいしいと思いました。

話を戻して。
この作品は、上中下巻と、けっこう長いです。
そして、登場人物も結構多い。ややもすると、『この人誰だろう?』なんてことも。とくに、日本史に疎いわたしにとってはかなり大変かしら、なんて思いましたが、そんな心配は無用でした。
ま、疎いとはいえ、いちおう男の子ですから、『織田信長』や『秀吉』やらはそれなりに知ってはいましたし、『信長の野望』なんてゲームにも一時期ハマってましたから。
とにかく、3冊、あっという間に読んでしまいました。特に、この下巻は、3日と持ちませんでした。

戦国時代の終焉に近いだけに、晴れ間の夜のごとく将星がきらめいています。
それぞれにちゃんと輝きを加えているから司馬さんはとても素敵です。しかも、大名に仕えていた馬とりのような小姓にもちゃんと見せ場がある。
やっぱりクライマックスの大谷吉継にはほろりときました。まさに武士道。
島左近。『武士道とは死ぬことと見つけたり』まさにそれを地でいく最後。でも、両雄、確かにカッコいいのですが、カッコ良すぎです。神懸かりですな。
人間的だというならば、やっぱり小早川秀秋。現代人にもかなり通じるところがあります。常に迷い尽くして、結果愚かしいところがたいへん人間味あふれてる。

武士の生き様というのは、どこかやっぱり共感してしまいます。
中世の歴史物、わたしは好きな方ですが、西洋の騎士道よりもすんなり入ってくる。
DNAですかね。
日本人に生まれてよかったですわ。
もちろん、司馬遼太郎さんの文章の明快さもあります。それが多分かな。
最近、翻訳物しか読んでないからというのもあるでしょう。
やっぱり、言語が違うものを訳するのは基本的に無理があるんでしょうな。言葉だけ変換しても、その裏に隠されたサブテキストのようなものである国の精神とか、宗教とか、歴史とかは翻訳できない。それは、読み手が担う翻訳ですよね。

よく、時代物を読んでいると、
『ああ、自分はこのタイプかな』と思うときがあります。
たぶん、わたしは石田三成系。
策に溺れるタイプだな。それなのに、妙に情にもろくて。破滅派。
ま、あそこまでガンコではありませんがね。

この物語の中で、終始好きだったのは黒田如水。
司馬遼太郎さんも、この方が好きだったのかな。
エピローグに、この人が登場していた点もそう思わせます。
今度は、『播磨灘物語』を読んでみるかね。

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2008年2月 5日 (火)

戦記物。

我が家の読書は、只今、関ヶ原と、三国志で占められています。

かみさんと交代で読んでいるのが司馬遼太郎の『関ヶ原』全3巻。
やっとこさかみさんが下巻を読み終え、待ちわびたわたしの番に。関ヶ原の合戦はそこにたどりつくまでの政戦がまた面白いですね。三成につくか家康につくか。司馬さんの文章は、とてもおもしろくて飽きがきません。なぜでしょうかねえ。

もう1シリーズは、吉川英治の『三国志』全8巻。
これはもっと関ヶ原よりもスケールが大きくてしかもまさに群雄割拠、登場武将数も半端ではありません。
学生の頃一度読んで、最近きっかけがあってまた読みはじめたらまた面白い。1月半ばから読み始めて、最近第4巻にてをつけました。
あらためて読んでみると、やっぱり劉備ってお人好しなだけとあらためて思いますなあ。張飛もどうも呂布よりも知恵がないような気もするし。となると、やっぱり関羽がいなければどうしようもなかったのでは、と思ったり。

ところでこの三国志、いろいろな関連著作があるんですがが、けっこう好きなのは、諸葛亮が五丈原で勝つという大胆な構想の『反三国志』です。それから、五斗米道の頭首、張魯を中心に話が進む、陳舜臣作の『秘本三国志』もなかなか面白いですよ。

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2007年7月12日 (木)

続・泥流地帯。

ついに、読み終わりました。

昨晩、深夜まで200ページを一気読みしてしまいました。
以前も書きましたが、わたしには年子の弟がおります。兄弟の良さをあらためて思います。
この作品も、それから、どの三浦綾子作品もそうですが、たいへん勇気づけられます。読み終わった後はそれがどんなに悲劇であってもどこか清涼感と白色の正義感に満たされます。
主人公たちは、だれもかれもまず例外なく尋常ではない困難に相対しなくてははならない運命を持っているんですが、かれらはそれを『大変なこと』ではなくて、『立ち向かうべきこと』として真摯といっていいほどの姿で克服していくんです。

特に、この作品のラストはとても印象的です。主人公たちが2巻続けて受けつづけた苦難がようやく明るい兆しを見せるんですが、それはもしかすると、かれらの本当の苦難の始まりともとれるんです。稲は実ったけれど、福ちゃんは自由になれそうだけれど、拓ちゃんはその足だけれどそのあとまたどうなるのかわからない。でも、かれらならばがんばれそうだな、そんな気がして安心して本を閉じられました。

辛いこともしっかり受け止め、自分の一部としてしまうかれらに見習って、わたしもこの先生きていこうかなとあらためて思わされました。
名作だと思います。
泥流地帯 (続) (新潮文庫)

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2007年5月29日 (火)

最近熱中漫画。

浦沢直樹作品。

『このツアー中に読みたいのう』
と、後輩に言ったら、なんと全巻持ってきてくれたのです(ありがたや)。
『YAWARA』、『20世紀少年』、の3作品です。全巻ですから半端な数じゃありません。ですから、このツアー中は暇つぶしができるなあと思っていたのですが。
あまり読むのが速すぎて、行きの2、3日で完読してしまいました。

『YAWARA』は、どちらかというとアニメのほうでばっかり観ていたので、新鮮でした。『20世紀少年』は、なかなか面白いですね〜。でも、17、8巻あたりからちょっと繰り返しっぽくなっていて、序盤の謎解きが少し薄くなってきたのは残念かしら。『PLUTO』も、面白い。こんなアトムもあっていいな。

漫画は、読み始めると止まりません。
かつて、わたしは『視力回復センター』というところに通っていました(今もあるのかしら)。そこのロビーには漫画喫茶のように膨大な漫画が並んでおりました。
『このせまりくる欲望を克服することが大事です』
な〜んて、本棚脇の壁に張り紙してありましたが、あんまり気にしていませんでしたね。しかも、そこに通っていた記憶は、『銀河鉄道999』の記憶のほうが大きすぎて、どんなレッスンをしていたかはまったく憶えておりません。

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2007年5月13日 (日)

泥流地帯。

三浦綾子さんの作品です。

仕事の合間、寝る前の数十分と、ちょっとずつ読んで、やっとこさ読み終えました。
終盤前まで、一言でいえば、とても甘酸っぱい香りに満ちてましたね。
それは、いわば自分の幼いころの記憶のにおいです。
ちなみに物語は、大正時代の北海道、本州から入植してきた人々の話。もちろん、昭和40年代後半の生まれのわたしには釣り合うべくもない立派な登場人物たちです。それでも、小学校時代の思い出にかぶって、思わずにこっとしたり、じわっとしたりする部分がありまして、とても楽しく読めました。
そう、終盤までは。

ウチも、兄弟2人、妹1人だったので、拓一、耕作と良子の仲の良さにちょっとオーバーラップしました。大人に、『これはわるいことだからやめなさい』と言われて、『どうしてそうなんだろうか』、よく疑問に思ってましたね。
それにしても、この物語、この兄弟の生きざま中心にずうっと続いて行くので、『なんでこのタイトルなんだろう』という疑問も持ちつつ、まあ、でもいい話だな、と思いながら読んでいました。
あの、ラスト50ページほどの前まで。

突然、小説もあと数十ページで終わりかというあたりで十勝岳が噴火してから、一気に小説の色が変わります。これまで読み進めてきた登場人物たちがどんどん泥流にのまれていきます。自然の恐ろしさ、しょせん人間など小さいものだと思わされました。
涙が止まりませんでした。
このあと、拓一と耕作はどうするんだろう?
お母さんと無事に会えるんだろうか。

すぐにでも『続・泥流地帯』読みます。
泥流地帯 (続)

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2007年2月12日 (月)

氷点(下)。

結局、読み終わってしまいました。

時計を見ると、深夜1時。熱中していると、時間を忘れてしまいますねえ。終盤の約150ページ、超特急でした。
もっとも大きく、もっとも重い秘密が暴露されてしまうのがあんなにラスト近くだとは思わず、それも一気に読んでしまった理由かな。原罪という言葉、キリスト教からきていたのですね。
主要な登場人物たちが、それぞれ原罪の群像となり、どんどんそれがいろいろな色彩に移り変わっていく様子、手に汗にぎり、息もつめながら読み進めていきました。
終わり方がすこしだけ救済を感じてホッとしています。あれで亡くなってしまったら、とてもイヤーな読後感で一杯だったでしょう。ほんとうはめでたしめでたしじゃないんですけれど、とりあえずまだ先は見えるな、暗闇にろうそくはともったかしら、という感じです。

続編があるんですね。『続氷点』。すぐ読みたい。

でも、次は『泥流地帯』を読もうと、もう買ってしまいました。

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2007年2月11日 (日)

氷点(上)。

怖いほどタイトルにぴったりの上巻でした。
今更説明することもないと思いますが、三浦綾子さんの代表作といってもいい作品ですよね。有名作品ですけれど、わたしは読んだことがなかったんです。国内の作家からしばらく遠ざかっていたということもあります。でも、名作はやはり名作ですね。もっと読まないといけないな、と実感し、同時に、読書欲もアップしました。

まだこれから下巻があるので、あんまり詳しい感想は書けないのだけれど。
人間のいろいろな影の面が登場人物たちを際立たせています。不思議とドロドロした感じがしないのは、やはり北の大地が舞台だからでしょうか、時おり差し込まれる季節感が人間の葛藤など意に介しないかのごとくストーリー全体にあみこまれているように感じました。

『汝の敵を愛せよ』という言葉がキーポイントになるんだけれど、まあ思いもしない言葉です。随所に現れるこの言葉、聖書の言葉が元なんですが、たった11字の言葉のなんと分厚いことか。言葉の持つ力が弱まっているといわれている今日この頃ですけれど、今あらためて言葉の持つ力、見直さなくちゃいけないなと思います。

このツアー中に下巻も読み終えそうだな。
ちなみに、もう下巻、3分の1読み終えてます。

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