2011年3月26日 (土)

愛娘、7ヶ月。

うちのコは、ホント、大変な時期に産まれたなあと思います。
このコの未来のため、われら大人はしっかりやらんと。

地震の直後、1週間くらいは、何かを感じているのか、なかなか寝付いてくれなかったり、落ち着きがなかったり。

ここ数日は、ずいぶん落ち着いたかな。
良く寝てます。ちなみに、わたしが出張中の方がよく眠れてるそうな…。
ま、そこは置いといて。

相変わらず、かみさんの献身さには感謝、感謝です。
夜中に起きて、抱き上げて、おっぱいあげて、眠らせて、眠ったかな…と思っておふとんに寝かせたらまたにゃあにゃあ言って…その繰り返し。
最近は、お昼寝のときなどはわたしがダッコして寝かせることが出来たりしますが、夜起きたときにダッコを代わると、寝心地が違うんでしょうね、すぐ泣き始めます。
母親には、毎回思いますが、かないません。

最近は、いろいろなものに興味を持ち始め、すぐに口に入れようとします。
寝かせると、寝返り移動が激しい。ふとんの上で寝かせても、ちょっと目を離すとすぐに畳に転がってぶうぶう言ってます。
ひとり座りの時間がだんだん長くなってきました。座った状態で、絵本の読み聞かせをしたらよく見聞きします。
今週から、離乳食が1日2回になりました。
カボチャが好きみたいですねえ。
そして、スプーンや器も大好き。すぐかじります。

とにかく、その仕草、存在、すべてにベタボレだあ〜。
休みの日は、いっしょに『モノランモノラン』を観て一喜一憂しています。
今日はもちろん一緒でないけど、名古屋のテレビで観てます…。

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2009年11月11日 (水)

父との時間。

父は、故郷を飛び出してもう20数年になります。
飛び出して、という言い方はちょっと語弊あり、一念発起して上京した、のほうが正確かな。
私から見ると、まさに、『機を見るに敏』。仕事がないとみるや即刻上京、裸一貫で仕事先を見つけて今はしっかり仕事場をキープしています。
そんな父の姿、何度誇らしく思ったことか。
そんな父との交流を、今日はいくつかつらつらと。

父のアパートは、私のアパートから徒歩30分ほど。
近くに住んでいるので、月に2、3度は夕飯(と称した飲み会)を一緒にします。同居しようという話もあるのだけれど、父はいずれは青森に戻る予定なので、シングルの方がいいようです。とはいえ、部屋で一人で飲むよりは、
『なンどど飲む方がさンびしぐねくていいじゃ』
と言ってくれます。最近は、津軽弁談義にも花が咲き、かみさんが九州出身なものだから方言合戦もいい酒の肴になります。

父は、左官です。
どちらかというと、一匹狼的な職人。
ほとんどの現場を一人で仕上げます。
昨日、久しぶりにその父の現場を手伝いにいきました。
個人宅の玄関まわり。玄関扉の前の階段と、勝手口の前の階段を作るのが父のその日の仕事です。
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上の写真の階段部分。父、作業。
これから、正面もきれいに仕上げます。最後にはタイルを敷き詰めます。

今では、左官が壁塗りの仕事をすることも減ったようです。工法の変化、コストダウンなどの影響があるようです。
それでも、父が仕上げる階段の表面はとてもきれいです。モルタルを塗り上げていくコテさばきは見事なものです。わたしもそこそこ手さばき(手影絵ですが)はありますけれども、父もとても柔らかい手首でコテを扱います。
私がお手伝いするのは、そのモルタル作り。
大きなタルに、セメント、砂、水をぶち込んで、ライフル銃のようなミキサーでこねくりまわします。しっかり両腕で押さえつけないとミキサーの回転に自分の腕が吹っ飛ばされてしまいます。
そのモルタルが出来たら、小さなオケに入れて、父の手元まで運んでいきます。水分と砂を含んだセメントはかなり重い。
いつも、この作業を一人でやっているのだと思うと、還暦とはとても思えません。

『これ、お前の弁当』
現場に着いて、父は私にラーマゴールデンソフトのプラスチックケースを手渡しました。ほんのり暖かい。
ふたを開けると、白ご飯に梅干しと塩昆布がのっています。
別のタッパには、シャケの焼いたのが入っていました。
父の作った弁当など、これまで食べたこともありません。それどころか父の料理も食べたことがない。
いつもは吉野家やコンビニ弁当で済ませるのだけど、今日はちょっと違いました。
そして、父の弁当、これが、なかなか美味しいのです。
お米の炊き方、シャケの焼き塩梅など、ビックリしてしまいました。
生んでもらって37年目、新たな父の一面を見ることになって、ちょっと嬉しかったりします。
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さて、この弁当写真を家族に写メしたら、様々な返事が返ってきました。
母→おいしそう!見た目より中身で勝負、愛情イッパイ、これで我が家は安心!
妹→朝定食、20年以上も工夫してきたんだもんね!
弟→ははは、もっと盛りつけに芸術性を持たせなさい!
ちなみに、弟は、料理人です。

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2009年8月10日 (月)

甥っ子の奮戦。

日曜日、東京の武道館で、空手の全国大会がありました。
小学2年生の甥っ子が、出場するために、家族ではるばる熊本阿蘇より来るとのこと。
運良く休みが取れたので、その日はかみさんと一緒に応援に行くことになりました。

武道館と言っても、あの武道館ではありません。
あの武道館は、日本武道館。
綾瀬にある東京武道館が、大会の舞台でした。
わたしも、小、中学校と空手を習っていたので、大会が始まるとちょっと興奮気味に。
先に来ていた姉夫婦とも合流し、甥っ子の出番を今か今かと待ちました。
大会は、自由組手。
防具を付けて、相手と打ち合います。わたしが習っていた頃とはルールがずいぶん変わっていますね。

結果は、3回戦で敗退。
だけど、全国大会で初挑戦で2回戦まで勝てたのはすごいと思います。
で、大会後、甥っ子君と久しぶりの再会。
『すごい大きな声が客席から聞こえた』と言ってくれました。
そして、それが心強かったとも。
声を枯らして応援した甲斐があったというものです。
甥っ子は、わたしが見るに、たいへんオーソドックスな戦い方のスタイル。
もっとバリエーションを増やしたら、もっと強くなると思いました。本人も『また来年来る!』と言っていたので、わたしもまた応援に来よう、と。
ちなみに、3回戦で戦った相手、優勝だったそうです。

さて、大会後。
熊本一行は、ディズニーランドへ出かける予定になっていました(体力あります!)。
とうぜん、わたしもかみさんも同行。こんな機会はありませんからね。
エレクトリカルパレードの場所取りをするため、アフターシックスパスポートを購入し、午後6時まで待ちます。
ランドの入り口付近で待っていると、入り口の係員さんが、わざわざ、アフターシックスのお客さんの行列ができていますからならんでくださいと教えてくれました。こういうところ、サービスの細かさを感じます。勉強になりますねえ。

さて、無事に場所取りもできて、ほぼ1年半ぶりにパレードを見ました。
パレードの直前、地震というハプニングがありましたが…。
姪っ子の、はしゃぐことはしゃぐこと!
初めてのディズニーランド体験だったようです。
大会で奮戦した甥っ子も、目をキラキラ輝かせていました。
『シンデレラ』の、王子さまがガラスの靴を、姪っ子に向けてひざまずいたときの彼女の表情が忘れられませんねえ。
なんだかんだ言って、やっぱり、ディズニーランドはすばらしい。
パレードが終わってから『カリブ』と『ジャングルクルーズ』を楽しんで、姉家族とお別れして。
かみさんと、閉園まで1時間ほど楽しみました。

長い一日でしたが、子どもたちのエネルギーに久しぶりに触れることができた日でした。

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2009年3月17日 (火)

知られざるいとこたちの存在。

わたしの両親のそれぞれの兄弟姉妹の合計人数は、16人おります。つまり、16家族の親戚がいるわけです。その家族の子ども、つまりいとこは、その3倍ほどいると思われます。日本全国、とりわけ東日本を中心に散らばっているわたしの親戚にはなかなかお会いすることかなわず、それに伴い、会ったことのないいとこもいます。
ちなみに、いとこまで生息している都道府県を数えてみると、13都道府県になります。そして最近、それに国が追加されました。

ドイツです。ドイツのデュッセルドルフ。
デュッセルドルフって、どのへんにあるのでしょうか…。
そんなところに、わたしのいとこがいるんですねえ。
大学で、講師をしているんだとか。
どうも、秋にドイツでの公演があるかもしれない、ということで、ちょっとコンタクトをとることになりました。
まだ実際に公演するかどうかはわかりませんが、もしあったらぜひ会ってみたいものですね。

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2007年6月 5日 (火)

父と妹。

先日の、妹の結婚式にて。

式場ですが、かつては靴屋さんとレストランだったところを改装してできた真新しいもので、まだ完成して数年ほどしかたっていないとのことでした。刑務官と看護士という多忙なカップルにしては、なかなか手がこんでいて、楽しかったです。
妹ですか?もちろん、刑務官なわけはありませんよ。

サプライズもかなりこんでいました。なぜかというと、ウチの父も母も、非常にオクテでしたから、びっくり企画などやるはずもなかったからです。両家両親のケーキ入刀、そしてファーストバイト、大受けでございました。
余興は、これまさに職場色が強かったですね。刑務官のほうは、ゴツい男だらけ、かたや看護士は妹と同年代の看護士だらけ、まさに美女と野獣の隣り合わせといったところか。
わたしとかみさんの余興ですか?
まあ、まあ、でしたかね〜?

式は教会式、お色直しは4回くらいもありましたかね。
いつもは控えめな二人の精一杯のサービスを感じました。

出席者数は、もちろん、それぞれの勤務先の若手ですから、上司やら同僚やらもご招待。なんと、約160余名の大披露宴でございました。予定では3時間でしたが、4時間半ほどまで延長、お年のじいさんがたは疲れてらっしゃいましたが若者はずうっとハイテンションでしたね〜。

妹は、手紙を2通、用意していました。
両親への手紙と、祖母への手紙です。祖母は、妹が実は看護の道を目ざすきっかけとなった人で、わたしらにとってもそうですが大変お世話になったかたです。95歳になります。この祖母、歳をとってますますお元気、自宅での2次会では23時までいっしょにお酒を飲んでましたよ! 我らも負けられません。

両親への手紙、妹は、この頃になるともう感極まって大変でしたが、それでもひとことひとことかみしめるように言葉をつなげていきました。
席隣の弟と一緒に、無言でエールを送りつづけて。
隣で聞いていた父は、相変わらず、文章の境目で、
『わたしは、泣きません』
これをひたすら繰り返していました。
両手をおろして、前で手を組み、背筋を伸ばして細い目をさらに細く、少し顔を上に向けながら、何度も何度も繰り返していました。

わたしの目には、父の涙がすこし見えたような気がします。

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