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2011年3月27日 (日)

福井にて。ワークショップ。

福井は、今、大河ドラマの影響で盛り上がってますねえ。

で、お宿は、いつもの宝永旅館さまでした。
女将さんとは顔馴染みです。うちのかみさんとわたしが一緒にツアーをまわっていたころからだから、もう5年にもなるかしら。
ウチのコの写真を見せたら、とても喜んでくれて。
「ダンナサン、顔つきが優しくなったね」
だそうで。
また、7月にもお世話になる予定。

さて、今日のお仕事。
ワークショップが午前と午後で計2回。
午前は影絵人形製作体験、午後は手影絵体験。親子さんで60人ほどの参加がありました。
相変わらず、こどもの想像力には驚かされます。午前中の回では種々の人形たちを見ることができて、とても楽しかった。
そして午後の手影絵体験。
こちらは、さすがに難しかったようですねえ。
やっぱり、私たちがやっていることって、とても独特なのだなと改めて思いました。

今、福井駅から、特急しらさぎに乗って米原へ。
米原からは、ひかりで新横浜です。

早く、娘の顔が見たい!

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2011年3月26日 (土)

愛娘、7ヶ月。

うちのコは、ホント、大変な時期に産まれたなあと思います。
このコの未来のため、われら大人はしっかりやらんと。

地震の直後、1週間くらいは、何かを感じているのか、なかなか寝付いてくれなかったり、落ち着きがなかったり。

ここ数日は、ずいぶん落ち着いたかな。
良く寝てます。ちなみに、わたしが出張中の方がよく眠れてるそうな…。
ま、そこは置いといて。

相変わらず、かみさんの献身さには感謝、感謝です。
夜中に起きて、抱き上げて、おっぱいあげて、眠らせて、眠ったかな…と思っておふとんに寝かせたらまたにゃあにゃあ言って…その繰り返し。
最近は、お昼寝のときなどはわたしがダッコして寝かせることが出来たりしますが、夜起きたときにダッコを代わると、寝心地が違うんでしょうね、すぐ泣き始めます。
母親には、毎回思いますが、かないません。

最近は、いろいろなものに興味を持ち始め、すぐに口に入れようとします。
寝かせると、寝返り移動が激しい。ふとんの上で寝かせても、ちょっと目を離すとすぐに畳に転がってぶうぶう言ってます。
ひとり座りの時間がだんだん長くなってきました。座った状態で、絵本の読み聞かせをしたらよく見聞きします。
今週から、離乳食が1日2回になりました。
カボチャが好きみたいですねえ。
そして、スプーンや器も大好き。すぐかじります。

とにかく、その仕草、存在、すべてにベタボレだあ〜。
休みの日は、いっしょに『モノランモノラン』を観て一喜一憂しています。
今日はもちろん一緒でないけど、名古屋のテレビで観てます…。

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2011年3月25日 (金)

京都、宇治。

なんだか、西に来ると、足もとが落ち着いている。気のせいかしら。

昨日は、横浜から移動の途中、下呂に立ち寄り、新メンバの初日を観てから京都入りしました。
下呂はいいですねえ。
時間の流れがゆったりしているというか。
ことに、この日は、おんなじ日本なのだろうかと一瞬目を疑いました。
こういう感覚、これからしばらく続くのだろうな。

5月から、海外ツアーも始まるけれど。
今週に入って、やっとこさ、英語ヒヤリングも再開しました。徐々に、その気になって行くのだろうかと思いながらも、日本を離れることに不安めいた感覚も覚えるし。

今日の舞台、しっかりといこうかな!
元気のキャッチボール、最低20回目標!

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2011年3月21日 (月)

2011/3/11体験(記録4)。

東京駅に近づくにつれて、人がどんどん群れて来た。
日が暮れて来て、人影がどんどん黒い波のように周りをうごめいている。

その間、空いている公衆電話を見つけ、事務所に連絡、無事を伝えて、仕事の話を2、3やり取り。浦安で別れた車の組も無事で、一時湾岸線に乗ったのだが、すぐに全線通行止め指示が出て、高速を降り、渋滞にはまりながらも事務所に向かっているとのこと。
実家の青森とも連絡が取れ、一安心。
あとはひたすら、自分が今夜寝るところまで歩き続けるしかない。

永代橋を渡る。18:00。
隅田川沿いの夜景を珍しそうに写真に撮る人も見える。相変わらず人の波は激しいが、少し余裕も見えて来たか…と、川の流れに目を落とす。
隅田川の流れが、逆流していた。
ふと、同時に気づいた、隣を歩いていた男性と目が合い、無言の同意を交わす。
河川敷ギリギリまで水位が上がっていた。歩みを早める。

日本橋を経て、東京駅前へ。18:45。
ここまでくれば、大手門まで歩いて内堀通り、青山通りで246をずっと歩いていけば、まあ自宅近くまで行けるだろう。
ここで、ちょっとトイレを借りようと思い、東京駅構内へ。
これが、運が良かった。
ちょうど、東京駅から、4時間ぶりに新幹線が出るとのこと。
チケットのやりとりでてんてこまいの駅構内のなか、自由席を購入、飛ぶように新幹線に走った。通路はどこもラッシュアワーのように人で満たされていた。
もう、拝みこむしかないな。
そう思って、『スミマセン、入れてくれますか?』
そう言ったら、通路奥の数人が気を利かせてくれて、人が1人入れる隙間を作ってくれた。

新幹線が、時速30kmで走り始めた。18:58。
窓から見える景色で、停電の地区があるのだろうか、時折町並みが真っ暗になる。
そして、数度、あの、携帯の地震予報の気持ち悪い音がこだまのように新幹線内に響き渡る。
だれも声を上げず、黙々と携帯を開く。
余震で止まるかもしれない恐怖とたたかいながらも、みんな、それぞれ立ち続けていた。

新横浜到着。約20:30。
横浜の名前を聞いただけで嬉しくなった。
改札を抜ける。切符の払い戻しがあった。特急料金分が戻って来た。時速30kmで走っていたからだろうか。
バスの停留所、タクシー乗り場、どちらも、とんでもない長蛇の列。
まあ、歩いて帰るか。
少しホッとしたのか、空腹に気づき、牛丼屋に入って大盛りを注文。余震2回あったが、黙々と食べた。
再び、歩く。

自宅到着、22:30。
台所の床は、ガラスの破片と台所用品が一面に広がった状態だった。
でも、かみさんの笑顔と、娘の寝顔を見て、一安心。
それから、テレビを見ながら、ことの重大さをあらためて確認、深夜まで、2人で起き続けていた。
浦安で別れた車組は、大渋滞に巻き込まれ、横浜に到着したのは翌日だったそうだ。
浦安で公演した幼稚園さん、あとで知ったが、やはり液状化に巻き込まれ、門は倒れ、グラウンドも悲惨な状態となったようだ。幸いなことに、園児さんたちご家族みなご無事だったそうで、なにより。

翌日の、仕事仲間の披露宴は、決行され、とても力をいただいた。
わたしも、稚拙ながら余興を披露、楽しんでいただけたようだ。

以上、記録として。

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2011年3月18日 (金)

2011/3/11体験(記録3)。

新浦安駅を出る。15:30。

そのみちすがら。
保育園の子どもたちが、建物の一角で、保育士たちに護られながら小さくなっている。
喫茶店のテラス席で、男子高校生が数名、愉快そうにバスターミナルの状態を見つめては何やら喋っている。
液状化の中を無理して走り出そうとしたタクシーが、黒の泥に車輪をとられて傾いた。45度近く、後部のドアの窓のあたりまで埋まってしまっている。そこまで液状化が進んでいるようだ。ドライバーはしばらくアクセルを踏んでいたが、あきらめて脱出していた。

新浦安駅から北へ向かって1キロほどの間、歩道はすべて液状化していた。
足下を確認しながらすこしずつ進む。
相変わらず、至る所から黒い泥水が噴き出している。
回避しようにも、左手にはビル、右手には片側2車線の道路があり、車も走っている。
泥にぬれながらもなんとか液状化のエリアを脱出。
浦安の住宅地を抜ける。とりあえず、ダメもとで、地下鉄の浦安駅へ向かう。
道ばたでは、不安そうな表情の人々が身体を護るように腕組みをしている。
道路沿いに、歩道が30cmほど盛り上がって、ひび割れが道沿いにずっと続いていた。だけど、海からはなれるにつれ、黒い泥水の噴出は少なくなっていく。

不意に、背後からドカンという音が聞こえた。
振り返ってみると、倒れた標識に気づかなかった車がその標識とぶつかった音だった。助手席側のガラスが割れ、バックミラーが吹っ飛ぶ。標識が歩道 側へ折れ曲がっていた。幸いなことに、その付近にはだれも歩いていなかった。運転手はずいぶん急いでいたようで、少し振り返ったがそのまま走っていった。

浦安駅着。16:20。東京メトロ、全線にて運行見合わせ。
付近の電気屋さんのショーウインドーで、テレビが震災の実況をしていた。
ヘリコプターからの映像。
大津波が、建物や車を押し流していく様子が中継されている。
画面変わって、日本地図。各地の震度がマークされている。
青森の実家は大丈夫だろうか。
弟、妹一家は。
気にするのも大事だし、今夜、このあとどうするか。
やっぱり、妻と娘のもとに帰るしかない。
浦安橋から葛西橋通りを西へひた進む。
とりあえず、東京駅へ行ってみよう。

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2011年3月17日 (木)

2011/3/11体験(記録2)。

液状化現象。初めての体験だった。

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新浦安駅のバスターミナルでは、ところどころのアスファルトに亀裂が走り、そこから真っ黒い泥のようなものが吹き出している。中央部分のバス停沿 いに、たくさんの人が群れ集まり、不安そうな表情で足下を見つめていた。子どもたちは泣き止まず、店員たちは、一雨来そうな曇った空と足下を繰り返し見つ めている。ほとんどの人は、携帯電話を片手に通話を試みたり、あるいは液状化の写真を撮ったりしていた。
ここは、コの字型に建物が建てられ、ショッピングセンターや、公共施設等もある。中央部のバス停付近にとりあえず避難。
そばの中年女性が、息をはずませながらわたしに言った。
『2012年、信じたくなりますよね…このあとどうなってしまうんでしょう』
2012年…アステカの暦の話だろうか。答えようとしたとき、余震が来た。
かなり大きい。
ショッパーズダイエーのガラス窓が、まるで揺れるゼリー状だ。だけど、幸いなことにガラスは割れず。
ただ、液状化現象は進行していく。しかも、海上の氷のようにゆっくりと傾いている。その隙間からどんどん黒い砂の水が噴き出してくる。

今日、公演をした幼稚園の子どもたちが気になった。
ついさっき、別れた車組の劇団メンバーのその後が気になった。彼らは首都高速湾岸線に乗ったはずだ。
けれど、それよりも、妻と、娘が気になった。
電話はもちろん不通。
メールを数度送信するが、妻に届いているのか分からない不安がつのる。
インターネットで横浜の災害状況を知りたかったが、全く分からず。
交番は2カ所あったが、次々にかけこむ人々の対応で大変そう。ただ、そばで話を聞くと、全く情報が入らなくて何も分からない、ただ、東北の太平洋が震源で、震度は7くらいだという情報は入った。
ふと、思いつき、mixiのメッセージ機能で数度送ってみる。
つぶやき機能も使ってみる。

そのうち、雨が降り出して来た。
アステカの暦の中年女性と、しばらく話していると、不意にiPhoneが反応する。
『メッセージ受信』。15:19。
妻からのメッセージだった。思わず声をあげた。
偶然薬局に行っていたとのこと。そこで避難していたのだ。娘ももちろん無事だった。女性もニッコリしてくれる。けど、すぐに不安そうな表情で携帯に目をやった。彼女も家族とは音信不通なのだ。

中年女性は、千葉市内のかただった。
電車の再開時間のメドがつかないという情報が駅員さんから伝えられて、彼女は千葉まで歩いて帰るとのこと。
mixiのメッセージ機能のことを話すと、
『mixiは、会員になってはいるんだけど、使ったことないのよね。メールや通話よりもすぐに連絡取れるんだったら、使ってみようかしら』
そういって、彼女は、歩いていった。
わたしも、ただじっとしていてもしょうがないと思い、とりあえず、西へ向けて歩き始めた。15:30。

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2011年3月14日 (月)

2011/3/11体験(記録1)。

浦安市の幼稚園で、お昼過ぎの公演 14:30。

その後、仕事仲間の披露宴の前日打ち合わせで、渋谷のセルリアンタワーへ向かうため、新浦安駅にて公演車を下車 14:40。

改札を抜け、ホームへ行くのに階段を登る。 14:50。
ベンチを見つけ、座り、渋谷へのルートチェックでiPhoneをいじり始める 14:51。

少し、ベンチが揺れたような気がする。横を向くと、つながっているベンチに老人が座っていた。それで揺れたのだろうか。思い直してiPhoneに目をやる。
揺れが止まらない。
まわりを見渡す。男性が3人、女性が2人。一瞬、視線で会話。無言の意思共有。
「ゆれてますよね?」
「そうですよね…」
かたことの、意思確認。
そうこうしているうちに、見てそれとわかるくらいホームが左右に揺れ始める。立っていられない。思わずそばのH綱の柱にしがみつく。
ふと、アナウンスが鳴り響く。
「地震が発生しました。ホームのお客様は急いで駅構内より出てください」

「えっ? でも、下に降りたらまた危ないんじゃないの?」
「天井が崩れたらたいへんですよね?」
そばにいた女性としばしの会話。
そうこうしているうち、異様な光景を目にする。
つぎつぎに、上りの線路へ飛び降りる人たちの姿を。
ホームの下に隠れようとしているのか、線路から直接外へ出ようとしているのかそれはわからない。
気がつくと、わたし一人でホームにいた。とりあえず改札口にもどろうとしたとき、ホームのはじに車椅子の影が見えた。
まるで、波に翻弄される船のように左右に揺れている。
その横、下りのホームには、電車が、左右にぐらぐら揺れながら入ってきている。

とりあえず、なにも考えず、車椅子のほうへ走る。
揺れに足もとを取られ、転びそうになる。ホームのアスファルトが、まるで大蛇の背中のように思える。
ようやっと、車椅子の彼のもとへ。ハンドルをつかみ、ホームの柱をつかむ。
たぶんわたしよりずっと若い男性。両足がない。
すがりたそうなかれの表情を目にしたとたん、妻と娘の顔がよぎる。でも、今は必死にハンドルと柱をつかむことに集中する。

揺れが落ち着いたとき、駅員が2人、こちらに向かって走って来た。
とっても心強かった。改札へ向かう階段に降りる直前、車椅子はわたしがかつぎ、乗っていた男性は駅員さんにおんぶされることになった。おんぶされるとき、男性が一言、
『今日はね、電車を撮りに来たんですよ。もう無理ですかねえ?』
それに対して、駅員さんは優しく、
『とりあえず、下に降りましょうね』
やんわりと答えたのが印象的だった。

改札を出、駅員さんと車椅子の彼に挨拶をし、とりあえず駅を出た。15:00。
駅前のバスターミナルは、まさに液状化現象であった。

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2011年3月 2日 (水)

名前の不思議。

数日前、ホント、目の前がぱっと明転したかのような感覚があったので。
ちょっと書きます。

ウチの娘は、『真結』と申します。
もともとは、『マユ』という読みから、漢字をあてて命名しました。
ところで、うちのかみさんの名前には、『紀』という漢字が使われていて、
わたしの名前には、『周』という字が使われています。
よく見ると、かみさんの名前の漢字に『糸』が入っていて、わたしのそれには『吉』が入っているのです。
『糸』と、『吉』で、『結』です。
これ、名付けの瞬間も、だあれも気づいてなかったんです。
ふとしたことで、これに気づいた我ら夫婦は、
『これも縁なのだな』
と、感慨に耽ったものでした。
何とも、因果なものです。
産まれた子の名に、それぞれの親の名の部分がすこしずつ入っている。
もともと、細胞同士がつながって出来た命なのに、偶然つけた名前にもつながりがある。
かみさんの、人とうまく付き合えるつながりが糸と例えるならば、わたしは、平凡であるけれど無難な吉と例えて。
幸せな人生を送れるコに育ってほしいなあと、改めて思います。

最近、帰宅するのが嬉しくて。
アパート50メートル前、ダッシュするわたしです。

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2011年3月 1日 (火)

ウチの娘、6ヶ月。

先月、ついに、生まれて半年を過ぎました。

表情も豊かになり、こちらがアプローチすると、笑顔で答えてくれます。
ちゃんとレスポンスがあると、親もとっても嬉しくなります。
言葉の幅も広がりましたねえ。とくにハ行が多い。それに、笑わせてみると、『ケラケラ』って元気な声を出します。ホント、赤ちゃんって、身体が小さいのに声がでかい。

実は、5ヶ月を過ぎたあたりから、下の前歯2本が既に生えていて、今、ひたすらおもちゃカミカミシーズン。柔らかいぬいぐるみから、固いプラス チックまで、手にしたものすべてにかじりつきます。自分の顔くらいもあるおもちゃにもかじりつきたがる。わたしの指はまだしも、わたしのスネにかじりつい たり。最近は、自分の足の指をかじってる。実に器用。
目にしたものにすぐに手をのばして取ろうとします。
親が食事をするときは、箸の先から口に入る瞬間までジイッと見つめています。ビールを飲むときの、わたしに対する視線の移動もすごい。興味津々なんですねえ。

先日、後輩の披露宴に招かれ、一家で出かけてきました。
たくさんの人に会ったけれど、ウチの娘は比較的機嫌良く。
わたしの余興(影絵ね)を、興味深げに観ていたそうです。分かるのかしらん。
その、招いてくれた後輩が、我が家に一言、
『こんな家庭を築きたい』と言ってくれました。
ちょっぴり、嬉しい瞬間でした。

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